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2007-03-30

あのね


いくつになっても褒めてもらうと嬉しいもんだね(^◇^)

今日も昨日泊めてもろた農家のおいちゃんちに布団敷いて寝ててますヽ(´ー`)ノ

夕方からこないだ東京でもらった日本農業普及学会賞の祝賀会を職場とか地元の皆さんが設けてくれたのよ。

私を拾ってくれた前所長。言うまでもなく私を育ててくれた人。ムリだと諦めさせて潰すのではなく、やってみろと勇気づけて育ててくれた。

県庁からは普及企画係長。この人は初代販売普及員として数少ない理解者。以前、米の販売支援をやろうとして始末書を書かされた男である。

マーケティングプロデューサーさんは昔博報堂でひよこのマーケティング手掛けてたマーケティングのプロ。昔っからいろいろと世話になった。


フカ爺はもう俺の父親だ。

私の話を聞いてくれていっしょにがんばってきた農協の課長と若し達。


いつもオレのハチャメチャを許してくれた職場のみんな。





いいやろう!みんなみんな俺の仲間!

受賞した論文は私が書いた。それは事実である。しかし、題材になった取り組みは今日集まったみんなの力で成し遂げたこと。

みんなで受賞したのだ。



みんなでもらったよ!賞状と副賞!




所長からみなさんへごあいさつ。

来賓のみなさんから一言ずつお言葉をいただいた。

前所長は私がまだ農林事務所で働いていた頃に「一生懸命働くから俺を使って欲しい」と直訴した私を引っ張ってくれた。

話を聞きながらその当時のことを思い出した。

みやこ魂を書き始めた時、普及指導員の御法度だった「販売」に手をだそうとした時、外圧から守ってくれた。

「やってみなくちゃわからんだろう。やってみなさい。」

この言葉に何度と無く助けられた。


普及企画係長から受賞の説明をして頂いた。


「この賞は滅多にいただけない賞で福岡県ではみなさんご存じの宇根豊さんともう1人、そしてしましまくんで3人目なんです。毎年対象があるワケじゃなくて、普及事業に新たな道筋を作ったりした取り組みに贈られるものなんです。」


いいねいいね!俺が同じ事言ってもだ~れも信用しないけど、この人が言うと本当に聞こえる。


わはははは!


今日はえばっててもいい日なんだもんね。





乾杯をしてから宴会が始まった。全部で22,3人なんだしみんな一言ずつ言おうということになった。


ワイヤレスマイクがまわってみんなから一言もらった。


多かったのは「しましまは事務所に全然居ないし、ちゃんとしごとしてよね!と思ってました。」とか。


「しましまの受賞は正直悔しい。今度は俺が!」という決意表明もあった。

いいじゃないいいじゃない!負けませんよ俺も。盛り上げていきましょうね!


嬉しかったのは私の上司、係長が「しましまは私の係の誇りです!」って言ってくれたこと。


聞いてて涙が溢れた。


係長は全く事務所に寄りつかず、我が道を邁進する部下がやらかすことの後始末をしてきた。私が一番迷惑をかけている上司である。そのことで時折周囲に私の愚痴をこぼしていることは知っていた。

私とて無駄なことをやっているつもりはない。信じる通りにやってきた。が、私も生身の人間。やはりそういう話を聞くと寂しい。


いつの間にやら少し距離を置くようになっていた。


ほんとうにごめんなさい。


だからこの言葉が一番心にしみた。


係長、ありがとう。



みんなで酒を飲んだ。思いっきり飲んだ。

みんな笑っていた。私も笑った。


最後の万歳三唱。


胴上げをされたのは結婚式以来だね。


最後にひとこと言えとのご指名なのでひとこと言わせてもらった。


「私にはもう1人感謝したい人がいます。ここにはいないけど、こうして私が家に帰らない時も家を守ってくれている妻です。帰ったらこの花束を渡そうと思います。」


「ばか!副賞持って帰れ!」



あ。


「じゃ、副賞は妻に渡します。みんなで飲もうと思ったけど、持って帰ります。」


2次会の席で妻にメールした。妻は子供達と山口の実家に帰っている。

「今日はみんなで受賞のお祝いしてくれたよ。副賞はみんなに断りを言ってお前にやることになったから。」


するとすぐに返信が返ってきた。


妻「泣かせるね~。みんなで飲みない。」


し「お前、いつのまにやら川筋のおんなやね。」


妻「あたしが貰った副賞じゃないもん。ぱ~っと飲みない。」


副賞は妻に渡すことに決めた。


1時まで飲んだ。



フカ爺の家に着き、服を脱ぎ散らかして弥生ちゃんが用意してくれていた布団で寝た。



楽しかった。人生最良の日。





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2007-03-28

優しさ

ちょっと前に子供会の話し合いがあった。

案件が済み雑談していると、季節柄子供の進学の話になった。

あるお母さん

「ウチの子、今度新しくなった中高一貫の学校に行かせようと思うの。」

その学校は中学校入学前に面接審査があり、しぼられた人数をさらに抽選で選ぶというシステム。

どうしてその学校を選んだのか尋ねると、高校受験をしなくてもいいからなのだそうだ。
運がよければ高校受験無しでそれなりの進学高校にいける。

受験は楽ではない。

無ければ楽チンで良いだろう。

親ならば子供に平穏無事で過ごしてもらいたいと思うもの。

楽に生きてもらいたい、と念願するは当然ある。

聞いていて少し疑問を感じた。

自分が高校受験や大学受験、就職試験と通って来た人生、それらの関門はなくてはならないものだと思っている。

楽しくないこともあったし、辛い時がなかったわけではない。

それらの関門を乗り越えてきたからこそ今がある。

その一つでも逃げていたら今の自分は存在しえない。

高校受験が無くても大学受験や就職試験はやってくる。

余程特別な境遇でなければ、社会人となり一人で向風に立ち向かっていかなければならないのである。

その歳、その時でしか味わうことの出来ない経験をあえて取り除くことに大きな疑問を感じた。

先日、助産師ミッチョンを職場に招いて「生きる教育」の話をしてもらった。

そのなかで一番強く受け取ったメッセージ。

子より先に死にゆく大人として、子供に何をしてやるべきか。

子供の教育方針は是人それぞれ。

中高一貫でのびのびと勉強するのもありだろう。

私は子供が一人で生きていけるよう、生きる力を備えられるようにするために「高校受験」というハードルは棄てがたいと思っている。



少し前に紹介した「弁当の日」の取り組み。最近になって実践校が増えてきた。

竹下先生は弁当の日で社会を変えると言ったが、いまその言葉は現実のものになろうとしている。

嬉しいことである。

この取り組みを学校内で議論すると、必ずといっていいほど出てくるのが「母子家庭や夫子家庭等で家庭のバックアップがなくて弁当を持って来られない児童がかわいそうじゃないか」という懸念。

その子の環境はこれからさきもずっと変わらない。

そのことをずっと背負って生きてゆかなければならない。

小学校や中学校にいる間、自分が受け持っている期間だけツツガなく過ぎてくれれば、という理屈ならばそれでいい。

しかし生きてゆけるようにするために学校は何をすればいいのか、という視点で考えれば先ほどの懸念が如何にアホらしいかがわかる。

むしろ、そういう環境にいる子供だからこそ一人でもご飯を作って食べられることは生きる力となるというものだろう。


親は子供よりも先に逝く、というのが自然の摂理。

私が居なくなっても自分の力で生きていけるよう育って欲しいというのが私の優しさである。


子供への「優しさ」が「易しさ」にすりかわらないよう肝に命じ、今夜も農家の仏間で床につく。

おやすみ。 あ、明日朝飯は目玉焼きがええです…

2007-03-27

なりゆき

土曜日の午後テコンドーの会議があった。

最近家にもあんまし居ないのにぃ・・と、ちょっとおっくう。

行かなきゃ、なんだよね。いろいろ問題あるし。


会場はアクシオン福岡。博多の森競技場の隣である。



で、終わったのが3時過ぎ。


大学時代の後輩が1人福岡市内でテコンドーを教えている。


彼も来ていた。


ちょっと用もあったので会議が終わってから、少し話した。



「で、しましまさんこれから帰られるんですか?」


徒歩で来たので最寄りの地下鉄まで乗せて欲しいという。



私も市内に用事があるので天神まで乗せてやることにした。


「お前、今から何かあるんか?」


「いやべつにないです。」



「今から俺はちょっと吉塚で用事済ませてから西日本新聞のサトウさんと会うんけど、一緒にくるか?」


西日本新聞社。


長期連載「食卓の向こう側」で社会を変えようとしている。

その中心人物がサトウさん。http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/shoku/


以前、福岡県の農業改良普及センター外部評価委員として私の事務所にやってきた。


そこで思いっきり私の活動を評価してからこちら、仲良くなった。(詳しくはこちらhttp://www11.ocn.ne.jp/~miyakoae/tamashiih17.2.html#fukyuusennta-nomukougawa1


はみ出し公務員として新聞に載せて頂いたこともある。
http://www11.ocn.ne.jp/~miyakoae/shinbunkiji1.html



数少ない私の理解者であり、つよ~い味方である。


ちょっと前に売り出したウチのオリジナルTシャツを予約してくれていたので、忘れる前に渡しておこうと持ってきた。


ちょいちょい会うことはあるのだが、複数での宴会やシンポジウム等の時が多い。

2人で話すのは久しぶりだったので、じっくりと話した。


時計を見るとすぐに帰るつもりが2時間近く話し込んでいた。


「4月は東京に行きますよ。」


(@_@)東京~?


「何しに行くんですか?」


「私は東京というシチュエーションと時間さえ与えていただければ、人にあって話をするということだけで1週間費やす自信がある。」


この人、「みやこ魂」を結構マメに読んでくれているのでちょっとやりにくい。


フジテレビに出演して、夜は漫画家の魚石おさむさんと飲むのだという。予定はその1日だけ。行程は3泊4日。後の2日は未定なんだそうだ。



おもろそう!!!



「俺も行く~!」


おもしろそうだし、また会いたい人もいるしで即決した。


「飯でも食いに行きますか。」



前に行ったことのある料理屋に入った。


後輩はアスリートのくせに食生活は乱れ気味。


後輩の母は食に厳しく、ジャンクフードは一切食べさせなかったそうだが、その反動でコンビニの弁当は食うは、カップ麺は食うは。


添加物をはじめとする食がかかえる問題について話した。


おまえ、やばいよ。ちゃんとブックレット読みなさい。


せっかくお母さんがいいもの食わせてくれて大きくなったんだから、それを台無しにしては申し訳がない。


あらためて欲しいものだ。



と言うわけで、わたくし、来週また上京します。

2007-03-25

昼飯




昨日家に着いたのは0時半。午前様なのね~。

飲んではないんですが、福岡で話が盛り上がっちゃって気がつけば10時半。

帰ったらそんな時間。


今更、午前様くらいでわーわー騒ぐ妻ではない。


金曜日も家に帰っていない。


あ、久しぶりの我が家。


金曜日は小学校の終業式だっけ。


妻が子供の通信簿を見せてくれた。


うんうんがんばってるね。

さすが俺の子。


だいたい親っていいところは自分似って言う。


向上が見られればそれでいいし、そうでなければ原因がわかっていればそれでいい。

結果を見てどうすべきかが分かれば人間そんなに間違わない。


今日はもう寝るか。

寝掛けに

「明日はあたし、用事があってお昼居ないからお昼ゴハンよろしくね。」

と妻。



そういや、前からそんなこと言ってたなぁ。


おし!B作戦。



おまえ達何が食いたい?


ウチでは御法度な質問。

子供を顧客として見てはいけない。


私は親で奴らは子である。


客ではない。


子供に「なんになさいますか?」は言わないのである。



あえてそれをクチにしたのには狙いがある。


子供達は料理の本を持ち出し、ぺらぺらとページをめくった。


「アスパラの豚肉巻きと野菜と卵のスープがいい。」


「決まった。今から材料を考えて買い出しに行ってこい。」


やはり兄貴がリードする。


冷蔵庫を開けて、あるものを確認。足りないモノを紙に書いていく。


「行って来まーす。」


兄妹2人でスーパーに出かけた。


予算は500円。



アスパラと豚肉を買ってきた。




すぐに台所で料理にかかった。そんなに広くないので先に兄のアスパラ。


ちょっと心配になったので覗こうとすると、いいのいいのと追い出された。


そのあと、下のこの野菜スープ。


こちらは一緒にやった。


キャベツを切り、ニンジンを切りベーコンを切るのを見守った。

「芯はどうすると?」


ははは。よく聞いてくれた。


「成長点は野菜の力がいっぱい入っているところだから、たべよう!ニンジンの皮も元気が詰まってるぞ。」


「皮も?」


「お前の手の皮剥いでばい菌つけたらどうなる?」


「腐ったり病気になる。」


「ニンジンは?」


「あ、わかった。」


そこまでの会話で野菜の皮と成長点の力について理解してくれたようだ。


出来上がりは写真のとおり。



夕方帰ってくるお母さんの分を残して、全部食べた。


言うまでもないけど美味しかった。





2007-03-22

へんななみだ

12月3日、泣いた。
「なぜ泣くの?泣きたくないのに。」
ぼくは12月3日夕方6時30分ごろ泣いた。
普通のビデオを見て泣いた。なぜ?
ボクはなぜ泣くのかその理由が分からなかった。
20分ほどコタツで考えに考えた、考えまくった。
その記憶はうっすらしかなくて、ぼーっとしていた。
2,3分してハッと少し思い出した。
うっすらうっすらと思い出していこうと思い少しずつ思い出していった。
覚えていること。泣くこととは正反対に笑っているところ。
どうしてそんなことしか覚えていないの?ぼくは不思議に思った。
ゆっくりと記憶をたどった。
妹のハムスターと遊んだり父のパソコンをしたり、漫画を読んだり、いろんなことをした。

少しして家でおもしろいビデオを見た。大笑いしていると涙が出てきた。
それでぼくはカンペキに思い出した。涙のワケは笑いすぎだった。
それを思い出せなかったぼくが何か少し変に思い、心の中でクスクスと笑った。とても自分が変だと思った。



息子の作文。

2007-03-20

物欲

最近欲しいものがあれこれあってさ。


あれもいいなこれもいいなって悩んでるんですが、買い物ってこの時間が楽しくて幸せです。


海外旅行でも一番気分が高鳴るのは空港ですもんね。


買ってしまうと幸せの種類が変わる気がするな~。

2007-03-19

棟上げ




今日は棟上げの日。


母から「明日は10時くらいには来てね。」


と言いつけられていた。

棟上げと言えばお家。


でも今日棟が上がるのはお墓。


ご先祖様達のお家なのである。


現地に着くと足場が出来上がり、あとは墓石とかなんとか上にのる石をポンポンとクレーンで下ろしたら終わりだろうと見ていた。


想像していたより、かなり困難な作業。



まず、現場が山の中であるということ。クレーンで道から一旦中継地点に石を下ろし、そこから中継でもう一つのクレーンで現地に持ち込む。


石一つが何トンもある。ちょい間違えば死人がでる。


一つ一つ慎重に作業が進められる。


いわゆる墓石、縦長で戒名なんかが掘ってある石は「さお」と呼ばれていた。

最初の写真が10時くらいのもの。



さおが上がったのが3時近くだった。


石工のみなさんお疲れ様です。




墓標の字は叔父さんに書いてもらった。


郵便局長だった叔父は元々字書きでいろんなところで字を書いた。


佐賀大学テコンドー部の看板もこの人の字である。


数年前、叔父は脳梗塞を患い右半身にマヒが残った。


リハビリを重ね、この字を書くまでに回復した。


私は叔父の復活を誇りに思う。



納骨は後ろの扉から。


私もそのうちこの扉をくぐる。


灯籠が立ち上がり、西日に墓標が輝いていた。何代も何代も昔からウチの家を見守ってきた楠が墓全体を包むように枝を伸ばし、なんともいみじい。

いいね。ひととき家族で見ほれた。



5時。大まかな作業が終わり、後は欄干や板石、金具をつけたら出来上がり、というところまでできた。


家の上棟式では、餅なげ(餅まき)をやるのがこの辺りの慣わしである。


お墓の上棟式でもまかないまでも四隅に餅を並べ、経本台に供物を並べて皆でお参りをした。


ウチの子の中途半端なお経も上げた。


家に帰って石工のみなさんや親戚と宴を囲んだ。


家の上棟式では朝までどんちゃん騒ぎをしたが、みなさん車なので酒は入らず2時間ほどするとお開きになった。


親父、お疲れ様。ご先祖様達もう少し待っててね。


これからはここで先祖と命について話をしよう。


全てお見通しのご先祖様達。あなた方は私の良心そのものかもしれない。

2007-03-18

実況中継

家に帰って妻と話してたら


「あたし達と旅行行った時は思い出は記憶に刻むもんだ、とか言って写真撮らないくせに自分はちゃんと撮ってるじゃん。」


だって。


俺が撮ったんじゃないって。写ってるの俺なんだから。



妻が言ってるのは昨晩の騒ぎの写真。


騒いでる時の写メしたらすぐに返信が来た。



「あんた、しあわせだねぃ。アフリカじゃ、銃持って戦っている子がいるっていうのに・・・」


なにおぅ!ほったらおまいはその子らのためになんしたんかぁ?


すぐメールした。




「どうにかできないかと、がんばってナイトスクープ見てるんだよ。」


俺とそんなにかわらせん。


長崎はナイトスクープ1週間遅れ。あら、先週のネタやってるわ。

2007-03-16

あぁのね、俺の仕事って大変なのょ




今日はね、仕事で佐世保いってその後平戸のホテルに来てぃます。
いいっすねぇ~!ホテルの窓から湾がみわたせるとょ。
こりは走らな。走ろうっと。
写真でわかりますぅ?
中央の白いのが泊まってるホテル。

つうことわぁ、この写真が撮れるとこまで走ってみたと。

ホテルのベランダから外を見てたら岬が見えた。
「テッシーあの岬まで走るんか?」
目測5~6キロ。往復10キロか…

おし。その挑戦、受けてやろうじゃん!

走ってみた。見えないとこの奥行きがあったので多分往復12キロをちょい切るくらい。
潮風浴びてさぁ、漁師町の情緒満喫して走ると。

途中蒲鉾屋さんとかちくわ屋さんとかあって蒸したてを売ってた。
ちぃ( ̄~ ̄)

金持ってきてなぃょお(o_ _)o
なんだかんだいって楽しんで来たとでぇす。
ホテルの温泉浸かって、おほほほほ~(●^o^●)

次、宴会。

はい!これからが本番!
宴会も全力でいきゃしょう。

で、一発目!

アムロいきまぁ~す!
山本りんだで「ねらいうち」

うらら~うらら~ってね。2枚目の写真そんときの衣装。あっは~あたい巨乳れしょ( ̄ω ̄)

あら…いつのまにやら蛇口はえてらぁ

つうことでぇ、今夜も普及指導員は頑張ってますのょ。明日の日本の農業をショってさ(^◇^)

2007-03-15

毒蛇

「ナチュラルボーンキラーズ」という映画がある。

あのクエンティン・タランティーノの脚本、オリバー・ストーン監督の過激な映画。

ミッキーとマロニーの連続殺人犯のカップルの無軌道な生き方を、犯罪レポータや刑務所長、刑事など濃いキャラをからませて描いた作品である。


この映画のなかで、誰が言ったか忘れましたが傷ついた毒蛇を介抱したインディアン娘の話が出てくる。




ある日、娘は傷ついた毒蛇を見つけます。


かわいそうに思った娘は毒蛇を幾晩も寝ずに介抱してやります。


彼女の努力の甲斐あって毒蛇はどんどん回復していきました。


そしてある朝、元気になった毒蛇はあろうことか彼女をその鋭い毒牙で噛むのでした。


娘は言いました。


「蛇さん、私は傷ついたあなたを何日も寝ないで介抱してあげました。おかげであなたは元気になったのに、どうして私を噛んだんですか?」


毒蛇は毒が回り意識が薄れていく娘に言いました。


「ボクを介抱してくれてありがとう。でも、ボクは毒蛇なんです。」






私の基本的な精神構造は二十歳そこそこのころから今まで一つもかわっていない。



古い友達に会って近況を話したりするとやはり「おまえ、かわってね~な」と言われる。


結婚して5,6年したころのこと。


その頃の私も今と同じで、自分が感じたとおりに生きていた。


当然の事ながらしょちゅう文句を言われた。



しかし私にしてみれば結婚する前と結婚した後とで何ら変わっていない。


よく、婚前優しかったりスリムだったりしたのに結婚したら一変してしまったパートナーに「騙された」とか「詐欺だ」とか言う人がいる。



私の場合、これは言わせない。


変わっていないのだから。


妻に言われた。



「少しは変わってくれると思ってました。」



この責の所有者は私ではなく妻である。



妻の見通しが甘かったのである。



残念。そしてゴメン。




妻に言った。



「僕と結婚してくれてありがとう。でも、ボクはしましまなんです。」


人間、そうそう生き方を変えられるものではないのである。
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しま・しま

Author:しま・しま
土からつくるここだけ芋焼酎「たばらそだちプロジェクト」を立ち上げました。土と食、命がつながるといいなと思います。

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